七夕まつりの歴史
江戸時代の仙台七夕まつり
江戸風の七夕を取り入れた仙台では、七夕まつりのことを「たなばたさん」といいました。仙台藩祖正宗公は七夕に関する和歌を詠んでおり、この時すでに行事を取り入れていることがわかります。
今日の仙台七夕まつり
不景気を吹き飛ばそうと昭和2年、商家の有志達が仙台商人の心意気とばかりに、華やかな七夕飾りを復活させました。
久しぶりにその光景を目にした仙台っ子達は喝采し、飾りを一目見ようとする人で街はあふれました。
しかし、戦争で七夕飾りは街から消えていきました。戦況が激しくなった昭和18、19年には、いくつかの飾りが商店街にみられただけで、ほとんど飾られることはありませんでした。
終戦の翌昭和21年、一番町通りの焼けた跡に52本の竹飾りが立てられました。当時の新聞には「10年ぶり七夕祭り涙の出るほど懐かしい」の見出しで報じられるほどでした。
昭和天皇が巡幸された昭和22年には、巡幸沿道に5000本の竹飾りが七色のアーチをつくりお迎えしました。それからの商店街が七夕隆盛にかける熱意は並々ならぬものでありました。
その後の七夕は、商店街振興から観光イベントへと変貌していきます。現在では竹飾りだけでなく夜に行われる趣向をこらした七夕パレードも人気を集め、名実ともに日本一のスケールを誇る七夕まつりとなり、毎年全国から訪れる観光客を楽しませてくれています。


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