七夕まつりの起こり
本来、日本の七夕まつりは、瑞穂国の日本民族とともに、古い時代から、農を主体とした人間生活に密着しながら、複雑な合成過程を経てきたものです。
「七夕」という外来の中国語を「たなばた」と日本語読みしていることが、いかに古くから「たなばた」の本体があったかを示しています。
「たなばた」という日本古来の民俗信仰を母体としながら、その中から分行事の部分が抽出され、更に中国の技芸上達を願うきっこうてんという星祭の行事が合体し、ミックスされました。
わが国では、毎年2回、年の始めと7月の満月になる日、すなわち旧暦の正月と7月の15日は、祖霊(それい)をまつって最高潮の日とされていました。正月の七草の日と、7月7日とは、15日の祖霊の大祭の準備に入る日でした。
旧暦の7月7日頃は、丁度稲が開花期に入るとともに、風水外や病虫害の襲いかかってくる季節でした。秋の豊作を祈るには、ただ一筋に神々にすがる以外に手だてはなかったのです。田の神は、万能の祖霊の変化したものであると信じていました。
7日の早朝、人々は禊をして心身を清め、祖霊を祭るお盆の行事に入ったのでした。これが、農耕文化とともに始まった七夕の起源です。


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